それこそもう15年前ほどに友人AZちゃんが仕事を辞めて北京の大学に留学した
親友とんの職場友達だったAZちゃんとは、とんの家で何度か顔を合わせる程度だった
そのAZちゃんを訪ねて、しゅうままは北京へ行ったのだった
それが縁で、AZちゃん帰国後には私の広くて高い家賃の(…)品川のマンションに
(といっても荏原中延という地味〜な池上線沿線)
一時ルームメイトとして暮らすまでの仲となった
AZちゃんは北京時代に「アラタイ」という内モンゴル自治区出身の男の子と友達になった
AZちゃんは私の事を彼に時々話すらしく
会った事もない彼からモンゴルの縦書きの文字のカードをもらったり
電話で話したり(アラタイの彼女が日本人だったので日本語はぺらぺら)していた
(要するに「女好き」だったんですけどね)
その頃AZちゃんからアラタイが「文化大革命」で家族が被害に遭った事や
モンゴルエリアは「性」に関して奔放である事など聞かされていたものだった
時は過ぎ、アラタイは結婚して奈良にいて、しゅうままは大阪。
AZちゃんが来阪時にアラタイと初対面と言う場を設けてもらったのだった
でか!という印象(猪木っぽいでかさ。猪木に会った事はないけど)
アラタイのイギリス人の友人と4人で朝まで飲んだんだったなー
久々に英語で喋ってめちゃ楽しかったんだったー
…しかしそれももう6年ほど前の事だ…AZちゃんとももう連絡を取っていない
と、「性に奔放」っていうことは「生きるために頓着しない、砂漠の民だもの、生きなければ」
というメッセージが実際に会った事のある内モンゴル自治区のアラタイとトゥヤーから受け取れた
砂漠
サハラに一週間ほど滞在した。少女たちはロバにまたがり鮮やかな黄色のポリタンクをぶら下げ
集団で水を汲みに行っていた。水は命。
羊の群れ。トゥヤーがまたがるのは大陸の毛の長いフタコブラクダ。
サハラのラクダと全然違う。羊は一頭350元。客人には丸焼きでもてなす。
年の離れた夫は井戸掘りの途中で負傷し、半身が付随だ。
トゥヤーも夫の代わりの重労働で体が利かなくなり、共倒れになる。
7歳くらいの長男と3歳くらいの女の子が二人の間にいる。
離婚という選択。
「生きなければならない」土地は
裁判所が紹介をして、次から次へと求婚者が現れる。
次から次へと。
確かにトゥヤーは美しく、働き者で若い。
トゥヤーの選択は「前夫も扶養することが結婚の条件」
ひたむきな夫への愛と、子供たちへの愛が、言葉少なに、寡黙なノマドの女から漂う。
渇いた画像にひときわ鮮やかな女たちの被るスカーフ。カシミヤか。
ノマド生活者の「パオ包」の中に
娘のおもちゃとして鮮やかな「ロディ」(本物だよね?)
トゥヤーのバター茶が飲みたい。
しゅうままの旅の途中、シンガポールの安宿。どう見ても日本人の集団。
集団だからどう見ても日本人。でも日本語でない人々。
彼らはモンゴルの方達で、社員旅行でした…ドミトリーに泊まる社員旅行。
ホテル関係の職場の彼ら、一人若い女の子が日本語ペラペラで、独学だった。
でも先日モンゴルで日本語教師の日本人女性が殺されてしまったんだった。