二年前の今日、周がお腹の中でもぞもぞ動くか動かないか。
私は買い物で富田林のジャスコにいた。
一階のテレビのある休憩所をちょうど通りかかって「長岡」がエラい事になっているのをタイミング良く知った。
しかしさほどとは思わず、買い物を済ませ、家でテレビを見ると、あの阪神大震災の時のような「まさか」な映像。すぐに家に電話するが通じず、「只今、電話が大変混み合っています…」のアナウンス。
携帯電話が繋がらなくなる直前だと思う。妹の由美から「大変だが無事」とメールが入るが、もう全然電話は通じず、ようやくすぐ下の妹、三条在住のまりに深夜12時前に繋がったと記憶する。
切迫流産しかけていたために、実家に帰ることも出来ず、なんともモドカシイ思いをしたモノだ。実際、先回同じ病室だったマナちゃん(地震の年の12月生)ママは神奈川のヒトだが、里帰り出産のために地震でフツウではなくなった道路になったため、富士山方面経由で、神奈川の伊勢原市まで車で帰省せざるを得なかったらしい。
今日は二年目。
ちょうど地震の起きた時間、花火が何発か上がった。情けないことに、やはり実体験していない私は「平日に祭りか?」と周に晩ご飯を食べさせながらぼんやり思う。じーじに言われてはっと気づいた。今日は大変な日だったのだ。
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話は変わって、周のおしゃべりが文節になった。「ダッコ、しーてー」という具合。なんでもかんでもすぐに「ダッコ」。それから私のことを「ママ」と呼ぶようになっている…。
そしてじーじの可愛がりように、周もすっかり爺ちゃん子になってしまい、ゆうべは「じーちゃーん、じーちゃーん」と泣きながら眠りにつき、嫌がって泣き叫ぶ吸入も「じいちゃんところでやる?」と聞くと「うん」といって吸入器を運ぶのだ。(結局嫌がって泣き叫ぶのだけど)やはり男同士がいいのだろうか。ありがたいが。
今日は無事に一日保育園。預けた朝の時点で37.5°の熱で、実は一日中私はヒヤヒヤしながら、初挑戦のパチンコのチラシを作っていた。ものすごお〜く疲れて帰宅。
ヒヤヒヤしたってしょうがないのに、どーんと構えていられない。まだまだです。さあ、明日も無事に過ぎることを祈るよ。