アジアレベルの偶然の縁に興奮のあまり眠れない!上手いことレポートできるやろか?
2003年台北で友達になった沖縄娘T間孃が、過労で倒れた上海在住のらゆらのピンチヒッターとして採用されたらしい!彼女らはお互い知らない同士。
T間孃がいる出張先にやむなく辛い体で出向かなければならない事になったらゆらは突然意外な人物の名をT間孃の口から聞く事になる…。その名は…。
2003夏。
しゅうままとしゅうぱぱは3ヵ月の旅に出た。
沖縄から船で台湾に渡った。船内のパスポートコントロールは簡単なスタンプラリーみたいだったのが衝撃的。
台北の「おおしろ」という沖縄のおっさんが経営するゲストハウスに投宿。ひとつの部屋に二段ベッドが何台もある格安宿。
いつも満員御礼のこの宿だが、まだ大学生のバックパッカーが動き始める前だったかで割と空いており同室は私たちとウチナンチュのT間孃。私たちが沖縄→石垣経由で台北に来たいきさつから親しくなった。
ちょうど宿の何周年記念とやらで八客(ハッカ:中国本土の少数民族と言って良い?)料理を同宿してたみんなにご馳走してもらったりと親睦を深め、かつ皮膚呼吸すらできない台湾独特の異様な暑さを楽しんだ約一週間だった。
私たちはそれからバンコクに飛びローマへ。ミラノでは初代(?)Jリーガー都並さんと一言交わしたり、当時バルセロナに住んでいた友ガブ(尼崎出身のべたべた関西人♂)の部屋に2週間近く入り浸りと、老人が何人も亡くなった猛暑のバケーション期の南欧を回ったのだった。
そういえばその旅ではやはり沖縄本島から石垣に渡る船着き場でム●美時代の先輩tammyに偶然会い楽しい船中と石垣の夜を過ごしたのだった!あれも凄い偶然。tammyは原チャリに物凄い荷物を載せ気に入った場所にテントを張って暫く過ごす♀。日本国内神出鬼没。
さて本題。
らゆらから深夜1時過ぎに携帯メール。そこには「私の引き継ぎはT間孃フルネーム」一瞬意味が解らず返信。
すると、こんな内容。
NHKでTTMという姓が出てきてT間孃がしゅうままとしゅうぱぱの事思い出したのがまずひとつ。割と珍しい名字。
更にらゆらのパソコンのお気に入りに「すーり屋」を発見し以前私がT間孃にネパール雑貨屋紹介したのを思い出してくれたたらしい。
らゆらが大阪の人だし、デザインやってたしバッグパッカーだし…。
と思考が行き着いたらしく唐突に「TTMさんって知り合いいますか?」と聞かれたとこから発覚したらしい。
あいにくT間孃とは周の出産のあたりから疎遠になっていた。もともと中国語喋れたがブラッシュアップのためにまた中国に留学したまでは知っていたが…縁が切れたかと思っていたが繋がっていた。なんたる偶然!
こんなに興奮する事じゃないか?私。