16世紀半ば、日本人が最初に接したのがポルトガル語だとか。ぼたん・かすてら・てんぷら・かるた・ぱん・こんぺいとう。まだまだあります。
ありがとうは「オブリガード」。関係あるの?
ボサノヴァにはまっていた頃、ギターを弾きながら、ポルトガル語で歌うのが夢で、楽譜やら購入したけど、ギターも全然弾けず仕舞いでした。こっちのポルトガル語はブラジルですが。
ポルトガル。
漢字による当て字で「葡萄牙」と表記され「葡」と略されるとウィキペディアより。
スペインのマドリから早朝5時頃バスで首都リスボンに着く。一時間ほど始発を待ち(かなり疲れていたのに)電車でナザレに向かう。
スペインと何もかもが似たような、あまり独自のイメージが湧かないポルトガル。ラテン系の国の割に、しっとりとした東ヨーロッパに似た静けさを、雰囲気で感じた。降り立った駅からバスに乗る。
疲れていたからかぼんやりしていたからか、目的地で降り損なう。運転手に「ナザレ?」と訪ねたが、ジェスチャーで「さっき通り過ぎたぜハポネッサ?(スペイン語か?ハポン=日本)」。「えーーじゃあ、次で降ろして!プロキシマ(スペイン語で「次」)」。
ぽつんと田舎に降ろされる。道の向こうで農作業するおっちゃん。カタコトのスペイン語でたぶん私は聞いたのだろう「次のバスは?」と。「ウノーラ(一時間後)」。「…」。(ほんとかーこの会話。でもそん時は必死)
生まれて初めてで、最後のヒッチハイク敢行。なかなか外国人の女の子(当時28歳。も女の子か不明)に、控えめなポルトガルの人々は止まってくれず。
これがスペインならすぐに止まってくれただろうが、スペインでは絶対やらなかったと思う。それが旅の感(?)。
ようやく一台。若者。仕事中。営業マンだったと思う。ナザレ着。
季節はずれなのでさびれた漁師町だが、シーズンはパラソルだらけだという。偶然どこからともなく現れた日本人の同い年くらいの女の子。声を掛けてきた。
宿をシェアすることになる。兵庫県宝塚の同じ年の女の子だった。傘のデザインをしていて、話に花が咲く。さらに東京でフリーのカメラマンをやっている少し年上の女の子も合流。それぞれ一人旅だというのに、なんだか共通項があって、ナザレに2泊、リスボンで一泊共にし、夜中のファド(ポルトガルの民族音楽。有名なのはアマリア・ロドリゲス「夜の艀(はしけ)」)を聴きに行ったっけ。
ナザレの女性(ほとんどおばちゃん)は皆一様にこのような服を着ている。民族衣装なのだろう。膝上のボンボンスカート&スカーフがとってもキュート。
ポルトガルは「鰯」料理が有名で、ただ単に「塩」で焼くだけ。ヨーロッパの濃い料理に食傷していた頃だったので、ワシワシ鰯を食べまくった。
★代表的なポルトガル料理
カルドベルデ(Caldo Verde)
緑のスープの意。ベルディはポルトガル語。マッシュポテト、薄く刻んだキャベツ、ポルトガルソーセージ、そしてオリーブオイルを加えて煮込んだスープ。
バカリャウ(Bacalhau)
バカリャウは鱈の意味。バカリャウの後に「assado(焼く)」や「Cozido(ゆでる)」を付けて料理方をあらわす。
サルディーニャ(Sardinha)
代表選手、鰯料理。オリーブオイルでソテーにしたり、単純に焼いたりしてもおいしい。
沢木耕太郎「深夜特急」で知った「サグレス」のユースホステルはヨーロッパには珍しくキッチン付き。yuki8055夫婦とイタリアで再会した際に戴いた「海苔」「米」を一人でおにぎりにし、涙して食べた。アメリカ人は「黒い」海苔をギョッとして見ていた。「What's that?」「Seaweed」「…」
なかなか行けないポルトガルですが、とても良いです。