水に濡れると長いから、どうも髪の毛はだいぶ伸びてきたらしいが、あまりのクルックル加減にそれが解らない。
右のブログのタイトルの写真はまだホヤホヤ生えているだけ。
いまは本当にものすごい天然パーマ。巻き髪スタイルを頑張っている名古屋嬢たちにわけてあげたいカール度。大仏様の実写版ってきっとこんな感じだろうと想像する。
しかも横に層になって束になっていて、まるで洗う前の「さといも」。親友のとんちゃんがそうだったらしいと彼女のお母さん談。(だから心配することないと。彼女はいまはサラサラ直毛)
ピンチ。
昨日から微熱が続いている。昨日昼に保育園から38.5の熱だと電話。
どうにも穴を空けられない仕事だったためヒヤヒヤしたが、昼寝後に下がったとのこと。本人は元気で食欲もあるから先生方も対処に困っておられる。今日も37度以上あったらしいが元気元気。夕飯いっぱい食べた後、シュウの胃袋ほどある大きさのバナナも一本ぺろり。たっぷり出るかと思いきや出ないぞ…。明日の朝が楽しみだ。
今日またBSで映画。私のベスト1の「男と女」。
♪シャバダバダ…♪で有名すぎているこの映画は20代前半から私の1番(バック・トゥ・ザ・フューチャーとイイ勝負だ)なのだが、子供を持ってまた見方が変わり、ますます良かった。(自分の未来を予想しているのか…憧れていたのか…)
アヌーク・エーメはすごく好き。映画の設定ではきっと私より若いのだろうがオトナの女だ。ジャン=ルイ=トラティニアンの車の中でのモノローグがよい。私が産まれる前の映画だとは。約40年前か。愛の国だよフランスは。
昨日からダイソー語学CD聞きながらの通勤。
何故か数多く旅をした「タイ語」は非常に親しみやすく、あの柔らかい響きが心地よい。
次に流れるは、インドネシア語でなく「ベトナム語」だったのだが、残念ながら足を踏み入れておらず「ありがとう」の「カムーン」位しか予備知識のなかったこの国の言葉は、何とも独特で、しかもテキストにあるカタカナでは発音の出来ない音が多く難しそうだ。ネパールでバスの座席が隣だった男の子が、初めてあったベトナミーズで「かむーん」と発音してもらった。「アオザイ着てみたい」といったら「??アオヤーイ?」と発音を直された覚えがある。
もしベトナムに行くチャンスがあったなら、モロッコ仕込みのフランス語の方が使えそうだと思うのであるが、いかがなものか?「アンカフェ、シルブプレ」と言って甘あまのベトナムコーヒーを飲みたいではないか。
まだビルマに一年いたスーリヤカナイから教えてもらった「ちゅーずてぃんばーでぃ」(よくおぼえているやろ!愛してるだったっけ?)の方が肌に馴染んだような気がした。ネパ語の「カティパイサ?」も覚えてるで。
次にギリシャ語。ギリシャ人もあまり愛想がなかったから使わなかったな。ツーリスト多き観光国は英語でなんとかなるからな。でも私が行った97年クリスマス。どこも店が開いておらず夕飯はマクドナルド。公衆電話で喋るおばちゃんが「ネー、ネー(はい)」と繰り返し、何とも言えない感じ。「おひ(=No)」とか面白い平仮名の組み合わせが多い。パルテノンもクリスマスで閉まっていて見ていません。
余談。アテネでイスタンブールまでの電車の切符を買った97年大晦日。
彼らの地図にはイスタンブールはなく「コンスタンチノーブルね」と嫌みったらしく言い直された。私の世界史の記憶におぼろげながら…。隣国の対立を肌で感じた一件でした。年越しはイスタンブールのホテルアヤソフィアで、水で割ると白く濁る「ラク」を飲んだ。久々に日本人に囲まれ。いわゆる日本人宿に初投宿。(ブダペストのテレザハウスも行き損ねていて)
そしてイスラムの国々はその年のラマダン(断食)期に突入した。
最後に待ってました!アラビア語。もう、朝から「サラマリコム」と言われると自然と「アレイコムサラーム」と返してしまうのは何故?いつも思うのだがアラビア語で一番教えなければイケナイのは「インシャラー(アラーの思し召し)」の一言。なにしろとにかくうるさいアラブ系には何事にも「インシャアッラー」が役に立つ。あと「ごちそうさま!」のコトバがあるのもアラビア語。「アラハムドゥリッラー」。
アザーンが聞きたくなってきました。
「明日、また会ってくれる?」だの「買い物に来てよ」と言われても魔法の一言「インシャアッラー」だ。思いがけずインドネシアのバリで大変役に立った。(あの島だけイスラム教)
しかし地震でインドネシアは大変である。