精神科医で作家の
なだいなだ氏が寄せた「ないおん」コラム
なだ氏といえば
スペイン語で「nada y nada(虚無)」から
来ているペンネームで有名
「おまえはねえ、私が家に戻ってくると嬉しがってねえ、
柱の周りをくるくる回ったり、押し入れに入ったり
なかなか広げた腕の中に飛び込んでこなかったのよ」
助産師で忙しかったお母さまは思い出してはそんな話をしたそうだ。
本当の記憶じゃなく、母が語ってくれた話から作られた記憶。
大きくなってから、子どもの頃の自分の話を聞かされるのは気恥ずかしい。
だが、それは自分が親から愛されているんだなあという、
自信のようなものになるんではないかと氏は語る。
悪い事をして叱られた記憶は、親の口から聞かずとも思い出せる。
しかし、自分がかわいい子で、親に愛されていた、と言う記憶は
ほんわかとした気分としては感じられるが
「自分は親に愛されていなかったのではないか」
という思春期の疑いが頭をもたげて来た時、あまり力にならない。
愛されていたと言う確信がないと、思春期の親子のギスギスとした関係を作るのではないか。
だから世の中のお母さんたちに勧める。
「あなたはねえ、子どもの時こんな子だったのよ」
子どもは照れるだろう。兄弟が何人もいればなおさら。
最近は教育熱心な母親が増えたけれど、小さいときの話をしてくれる親が減ったように思う。
それが怒りっぽい、自信のない、傷つきやすい子どもを作りだすのではないか。
愛されたと言う自信は、自分が親になった時に、自分の子どもに優しく接する力になる
小さい子どもは可愛い
だが自分がそんなに可愛かった事など覚えていない
それを作ってやるのは親の仕事だ
他にも色々仕事はあるが、最近になってそれが重要な事の一つではないかと
氏は思うようになって来たらしい